- 自分の助けが相手のためになっているか不安・・・
- 相手のためになる人助けの方法が分からない?
- 相手のためになる人助けの注意点を分かりやすく教えて!
せっかく人助けをしてもその相手が自主的に改善しようとする姿勢が感じられず、相手のためにならないケースが非常に多いです。
私は今働いている職場において部下のために人助けをしている上司の姿を見ることがありますが、本当にその部下のためになっているのか疑問に感じることがあります。
そこでこの記事では、私の失敗から学んだ人助けで注意したいことについて解説します。
この記事を読めば人助けをする際に気を付けなければならないことが理解でき、相手の喜びを促す人助けができるようになります。
1.人助けの目的とは?

私は人を助ける目的は主に下記の2つであると考える。
- ①自分の恐れから逃れるため
- ②人の成長を促すため
人を本当の意味で助けることは難しいと感じる。まず、助ける相手がなぜ困っているかを把握しなければ本当に相手のためになる助けはできないと考える。決して自分が嫌われたくない等自分の恐れから逃れるために助けてしまうと、結果的に相手のためにならない。次にその例を2つ挙げて考える。
2.自分の恐れから逃れるため助けるどうなるか?

次に自分の恐れから助ける例を2つ挙げる。
1つの目の例は、私は過去に会社の上司にお金を貸し、全額を返してもらえなかった経験がある。上司は借金の理由は言わず、ただお金を借して欲しいとせがまれ何とも身勝手な要求であった。ここで、私の本心は貸したくなく1回は断ったが、あまりにも強気にせがまれたので、もしお金を貸さなかったらこの上司からどんな不利益を被るか分からないと恐れてお金を貸してしまったのだ。この判断は最悪の事態を招いたのである。なぜならその後、数回に渡りこの上司からお金の無心をされ、休日にまで電話をかけてきてお金を要求するあり様であった。私がきっぱり断るまでこの状況は続いた。結局、その後、他の人から聞いた話だが、その上司はギャンブルで作った借金であり、はじめから借金を返すつもりはなかったのだ。私は今思い出しても腹立たしいし、同時に自分の不甲斐なさを情けなく思うことがある。これは、私の自尊心の低さが原因であると思う。もし、私が上司からのお金の無心をきっぱり断れたならば、私も成長(=自立)できたし、その上司も改心できたかもしれないと思うと本当に悔しい。助ける目的が間違っていたよい例である。
2つ目の例は、病気になった人に対して安易に可哀そうに思い助けてあげることである。一見すると当然のように思われるが、助ける前にしなければならないのはなぜ病気になったかを把握することであると思う。先天的に持病を持たれている方を除けば、病気になるのは本人の生活習慣に原因がある場合があり、その人にとってその病気に隠された意味があるのだろうかと深堀するのである。例えば、私の病気の例で言えば過去に首がヘルニアになったことがある。これだけ聞くと同情されるかもしれないが実は自分が招いていたのである。ヘルニアになる前に肩こりが酷いことを感じていたにも関わらず無視し続けていたのである。なぜなら自分は少々健康を疎かにしても大事には至らないと慢心していたからである。そのような時に病気になったので自業自得である。このような場合、助ける手段としてヘルニアの治療をサポートすることが大切ではあるが、同時にヘルニアになってしまうあり方、考え方を見直すようサポートすることも同じくらい大切なのである。
もし、あなたが上記のような例に遭遇した場合、どのような対応をとるでしょうか?
3.人の成長のために助ける

困った人にはその原因が何かを悟ってもらい本質的に改善できるよう助けてあげることが大切だと考える。ここで大切なのは「本人が自主的に改善しようと思うことが大事であり、自主的に行動するまで手助けしてはいけないのである。それはなぜか?自主的に困った原因に気が付き心から反省すれば自然に改善しようとするはずなのである。「人のために助ける」とは「自主的な成長(=自立)を促す」ことだと私は考える。困り果てる人を見守るのは苦しいことである。また、助けを求める人から自分が冷たい人だと思われて寂しい思いをするかもしれない。しかし、そこは相手が悟るまで辛抱しなければいけないと思うのである。私は間違った人助けをしないようにする方法として誰であっても「自分の子供」と思って接することを提案したい。なぜなら自分の子供の成長を望まない親はいないと思うからである。自分が助けることでその人が少しでも成長できればこれ以上の喜びはないと思うのである。

子供の成長を見守る親はどんな気持ちかな?
4.まとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
皆様が充実した人生を送れるよう応援しています!!
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