- 毎日、「競争」に追われて疲れた・・・
- 「競争」することにどのような価値があるか分からない?
- 「競争」する意味が分かる方法を教えて!
競争すること自体が目的となり神経を擦り減らしながら生きている人は非常に多いです。
私も過去に「競争」を煽る人に多く会い影響され、競争することに価値があると思い込み、競争に勝たなければという脅迫観念に追われながら生きていた苦い経験があります。
そこでこの記事では、「競争しないで成果を出す方法」について解説します。
この記事を参考に、「競争しないで成果を出す方法」を実践すれば、仕事にやりがいを感じるはずです。
1.競争が目的になっていないか?

私は「競争」について考える時いつも小学生の頃を思い出す。小学生のとき担任だったその先生は独特な教育方針であった。それは「厳しい競争社会」を徹底して児童へ叩き込む指導であった。当時の私にはピンときていなかったが、その先生には「競争に勝てない人間に価値はない」ように見えていたのではないかと思う。また、先生は自身が幼い頃の辛い思い出を私たちによく話したものだ。自身が幼い頃たいへん貧しく家事の手伝いをしている姿を同級生に目撃され馬鹿にされ悔しかったと言われていた。この経験から先生は担任の児童に「お前たちはこれから厳しい競争社会に巻き込まれ、勝ち抜かなければ不幸な人生になるのだ」と主張していたのだ。私は当時その先生が「競争する」ことに固執しているように思え違和感を感じていたが、異論を言う勇気もなくただ従ったふりをしていた。
2.主体性を持つためには?

この先生の具体的な指導方法は次のようなものであった。「宿題は生徒が自ら課題を考えて行う」、「宿題をしてきた量に対して点数を付け、クラスの児童全員の点数が比較できるように点数表を張り出す」等である。私は当時、このやり方に面食らった記憶がある。これまでの担任の先生は宿題の内容は先生が決め、与えられた宿題をただこなしていたためやり方が全く異なったからだ。「自ら課題を設定して遂行する」というやり方は主体性を持つためには重要と考える。まるで社会に出て仕事する前に予行演習をしているようなものである。ただし、本当に主体性を持つためには課題を設定する前にその分野に「ワクワク」するような好奇心を持っているかどうかが重要があることを付け加えたい。
3.課題の目的を明確にする

当時、小学生の私には先生のねらいを悟る知恵はなく、なぜひたすらこのような面倒くさいことをさせるのか不満に思っていた。私は自分で宿題を考えることが苦手で、宿題を全くしていかず先生によく怒られたものだ。私は何でこんな先生が担任になったのだろうと悲運な自分を嘆いたものだ。しかし、同じクラスの児童の中にはこの先生のやり方にピッタリ合い、宿題を沢山行い先生に褒めれる人も沢山いたのも事実である。やり方自体を否定するつもりはないが先生のねらいについてクラスの児童に説明した方がよかったのではないかと思う。
4.豊かな生活を送るためには?

ここでその先生の立場になって考えてみたいと思う。先生の頭の中には「競争に勝とう」とする行為が「豊かな生活」に繋がるという回路ができていたと推測する。なんとなく正しいように思えるが本当にそのとおりなのか検証してみる。豊かな生活とは「精神的、時間的、経済的に豊かな状態」を継続することである。果たして「競争に勝とう」とする行為は「精神的、時間的、経済的に豊かな状態」を獲得することに繋がるのだろうか?少なくとも精神的に豊かな状態を得ることは難しいと思う。私が考える「豊かな生活をおくる」ために必要なことは「社会に価値を提供する」ことではないかと思うのである。勉強や運動は「社会に価値を提供する」するための道具に過ぎずそこに過度な競争意識は必要ないと思うのである。たとえ勉強や運動が人よりよくできようが「社会に価値を提供」できなければ意味がないと思うのである。
5.負けるメリット

また、例え競争に勝ったところで自分一人でできることは限られている。私は豊かに生活するためには困った時に助けてもらえることも必要な要素だと思う。困った時に助けてもらえる人間になるためには勝つための努力ではなく自分も周囲の人も負けないようにする努力が必要ではないかと考えるのである。私はよく先生から「おまえみたにぼーと生きていれば将来、必ず苦労し幸せにはならい」とよく言われたものだ。確かに私は先生の言われるとおり負け続けで苦労した人生であった。しかし困った時に運よく周囲の人に助けてもらったため今は何不自由なく暮らせていると思う。なぜ助けてもらえたかと考えると「負けてきた」からではないかと思うのである。人から同情され情けないと思う人もいると思うが、負けて周囲から助けてもらう経験を積み重ねたことであまり傲慢にならなかったのではないかと感じている。
6.周囲に左右されない

ここまで先生の批判ばかりしてきたが尊敬できることもある。それは、自分の信念に基づいた教育方針を勇気を持って実践していたことだ。学校においては当たり障りのない教育方針の方が批判を受けることもなく無難であると思うが、批判を覚悟で自分の信念を貫くことは難しいと感じる。私は社会人になって組織の中で自分の信念を貫くことがいかに大変なことかよく分かる。社会人になって先生の偉大さが分かったのだ。私がこの先生との出会いで見習わうべきは「周囲に左右されず自分の信念を貫く」ことだったのだ。私はこの先生の教育方針には賛同できなかったが、先生の「自分の信念に従って行動する」姿勢は見習っていきたいと思う。
7.まとめ
最後まで読んで頂きありがとうございます。
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